自分を大切に🍀

50代になると、親の介護を意識される方が多いと思います。私も元気だった両親が交互に入院をするという経験をしたばかりです。お蔭様で母は無事退院し、リハビリ後は後遺症もほぼなく、無理をせず老夫婦二人で助け合いながら生活をしています。
先日、保育所で一緒だったお母さんと出会い世間話しをしました。「半年程前にお父様が亡くなり、正直ほっとした」と。お父様は救急搬送され1年弱、人工呼吸器をつけ、胃ろうをして命をつないでる状態だったそうです。
・ベッドで寝たまま、ほぼ身動きできない
・呼吸器で会話ができない
・何も食べれない
・テレビも見れない
「こんな状態で命をつなぐことを、本人も家族も誰も望んでいない。でも、どうすることも出来ず辛かった。父親の年金で病院代はまかなえたけど、年金不足といわれる中、こんな風に年金を使うなら、早く解放してあげて」と思ってたそうです。
客観的に見れる時は「尊厳ある終わり方をしたい」と思うものですが、いざ自分の身内に起こるとその時は「何とか今、命を助けてあげて」と思ってしまいます。実際、私がそうでしたし、お医者さんも、命を救うことを優先します。

日本の高齢者の医療費はどんどん増加しており、本人も家族も皆が苦しくなっているような気がするのは私だけでしょうか。
私は法律に携わる職場で仕事をしており、先日、「尊厳死遺言書」(詳細はこちら。)の作成を希望され、公証役場で公正証書遺言を作成したお客様がおられました。
回復の見込みがない状態になった際は、延命治療をしないで下さい。といった遺言書です。
正直、そのような遺言書の存在を知りませんでした。
その方もご家族が寝たきり状態になり、辛い思いをされたそうです。「これを妻に渡して、何かあったらお医者さんに遺言書を見せるよう伝えます。」と言って帰られました。

公証役場の説明では、この遺言書があるから絶対という訳ではないようですが、ないよりは治療後の状態を考え、お医者さんが考慮して下さる場合が多いとのこと。
自分や家族の老後を「流れに任せて、その時に考える」は良くないかもと感じました。自分の治療はもちろん、親の介護についても、これ位まではできるけど、これ以上はしない。境界線を決め、自分を犠牲にしてまで尽くさないことを決意しておく必要があると。
自分を大切にすることは、親不孝ではありません。
私は子ども達の幸せを一番に望んでおり、情に流されず、罪悪感、優しさに負けず、少しでも自分たちが幸せになる選択をして欲しいと願っています。
私の為にやりたいことを諦めて欲しくないですし、子ども達の足を引っ張る存在になりたくないです。夫も「僕も同じだから、何かあったら正しい選択をしてね」と言われました。

年齢を重ねると視野も狭くなり、脳も、精神も老化します。何十年後、老いた自分がどのように考えているか分かりません。老いた証拠だと自覚できずにお願いしたり、わがままを言ったりするかもしれません。
ですから老いた口から出る言葉を鵜呑みにせず、自分の決めた範囲内で、親に関わるようにすれば良いと決めた今日この頃です。きっと、両親も私の幸せを願っているはずです。
老い方は人それぞれで、最後まで健康な方、身体は元気でも認知症を発症したり、その逆もあります。準備した通りにはならないと思いますが、これからを生きていく人の負担にならない選択を心掛けたいと思います。

母と同じ世代の知人と今回の話をしたら「私もそう思うから、娘に伝えたのよ。そしたら口で言うだけでなく、ちゃんと紙に書いて!」って「その場で夫婦で一筆書いて、持って帰ったわ」だから「あんたも、ちゃんと紙に書いてもらいなさい」と言われました💦
上には上が…ちゃんと準備してる人、いてる!😲
